検索結果

検索キー:
《三國演義》の原文からこのキーで検索した結果は以下の通りです。 結果には原文各回の該当箇所の行番号と内容が表示されています。なお、該当箇所がなかった回は省略してあります。

【第三十七回】

 149  長兄諸葛瑾、現在江東、孫仲謀處爲幕賓。孔明乃二家兄。』玄德曰、

【第四十三回】

  24  荊州之兵、恐勢大難以抵敵。』肅曰、『肅至江夏、引諸葛瑾之弟諸葛亮
 111  蓋與魯肅引孔明入。至中門、正遇諸葛瑾、孔明施禮。瑾曰、『賢弟旣到

【第四十四回】

  23  又未幾、諸葛瑾・呂範等一班兒文官相候。瑜迎入、講禮方畢。諸葛瑾
 134  劉備、必爲江東之患。』肅曰、『諸葛瑾乃其親兄、可令招此人同事東吳、
 147  次日、瑜請諸葛瑾、謂曰、『令弟孔明有王佐之才、如何屈身事劉備?

【第四十五回】

   1  却說周瑜聞諸葛瑾之言、轉恨孔明、存心欲謀殺之。次日點齊軍將、入

【第五十三回】

 125  諸葛瑾曰、『張遼多謀、恐有準備。不可造次。』太史慈堅執要行。權因

【第六十六回】

   1  却說孫權要索荊州。張昭獻計曰、『劉備所倚仗者、諸葛亮耳。其兄   2  葛瑾今仕於吳、何不將瑾老小執下、使瑾入川告其弟、令勸劉備交割荊州、
   3  「如其不還、必累及我老小。」亮念同胞之情、必然應允。』權曰、『   4  葛瑾乃誠實君子、安忍拘其老小?』昭曰、『明敎知是計策、自然放心。』
   5  權從之、召諸葛瑾老小虛監在府。一面修書、打發諸葛瑾往西川去。
  50  雲長笑曰、『吾豈不知耶?此是諸葛瑾回報孫權、說吾不肯還三郡、故令

【第七十三回】

  64  曹操、首尾相擊、一面使人過江探雲長動靜、方可行事。』諸葛瑾曰、
  68  却遣諸葛瑾爲使、投荊州來。入城見雲長、禮畢。雲長曰、『子瑜此來

【第七十六回】

 138  公令放入、問之、乃諸葛瑾也。禮畢、茶罷、瑾曰、『今奉吳侯命、特來
 146  執迷如是?』言未畢、關平拔劍而前、欲斬諸葛瑾。公止之曰、『彼弟孔
 147  明在蜀、佐汝伯父。今若殺彼、傷其兄弟之情也。』遂令左右逐出諸葛瑾

【第八十一回】

 131  勢甚大、如之奈何?』百官盡皆失色、面面相覷。諸葛瑾出曰、『某食君
 133  共討曹丕之罪。』權大喜、卽遣諸葛瑾爲使、來說先主罷兵。正是、
 135  未知諸葛瑾此去如何、且看下文分解。

【第八十二回】

   2  川口。近臣奏曰、『吳使諸葛瑾至。』先主傳旨敎休放入。黃權奏曰、
  18  今且放汝回去、說與孫權、洗頸就戮!』諸葛瑾見先主不聽、只得自回江
  24  日豈肯降蜀乎?孤與子瑜可謂神交、非外言所得間也。』正言間、忽報  25  葛瑾回。權曰、『孤言若何?』張昭滿面羞慚而退。瑾見孫權、言先主不

【第八十五回】

  27  馬。早有哨馬報說東吳已有準備。令呂範引兵拒住曹休、諸葛瑾引兵在南
  43  探馬報、『曹眞・夏侯尚圍了南郡、被陸遜伏兵於內、諸葛瑾伏兵於外、

【第九十六回】

 102  遜曰、『此非善策、吾自有妙用。』於是朱桓懷不平而退。遜令諸葛瑾

【第九十八回】

  90  兄孫策爲長沙桓王。立子孫登爲皇太子。命諸葛瑾長子諸葛恪爲太子左輔、
  93  筵會、恪隨父在座。權見諸葛瑾面長、乃令人牽一驢來、用粉筆書其面曰、

【第一百二回】

  82  到、卽日朕自親征、入居巢門、取魏新城。再令陸遜・諸葛瑾等屯兵於江

【第一百三回】

  18  器具不計其數。諸葛瑾率敗兵逃走沔口。魏兵大勝而回。
  25  却說諸葛瑾大敗一陣、又値暑天、人馬多生疾病。乃修書一封、令人轉
  27  使者回報諸葛瑾。瑾問、『陸將軍作何舉動?』使者曰、『但見陸將軍催

【第一百八回】

  17  諸葛瑾皆亡、一應大小事務皆歸於諸葛恪。
 127  二年冬十月也。昔諸葛瑾存日、見恪聰明盡顯於外、歎曰、『此子非保家

ヒット: 36 件

2003年11月からの
検索回数: